取手男声合唱団の生い立ち

                                 平成26(2014)年4月
                                   仲津真治(バス)

    この合唱団は、1987年(昭和62年)1月15日を創立の日としております。
    そこには、次の様な物語がありました。是非ご一読下さい。

1. まず、それは取手男声保存会が始まりでした

1986年の12月21日に東京芸大の誘致決定を記念して、取手市の主催で、初めて
の第九演奏会が行われ、大きな感動をもたらしました。その後、第九で76名もの
男声が集まったのは貴重との評価から、何と「無形文化財 取手第九男声保存会」
と言う会合を持とうとの案内が出されたのです。それを言い出したのは、第九の実
行委員のひとりで事務局長の前田直哉さんでした。


その提案を受けて、そのときの第九を歌った男性の中の百田孝義さん(早稲田大学
グリー出身、初代取手男声合唱団指揮者、現在八王子市在住)ほか数名が呼びか
けて、年が変わった1987年1月15日(当時は「成人の日」)に、今は無くなった
「つぼ八」に有志三十名が集まりました。


この呼びかけは、第九の練習中に予定されたり、合意されていた訳でもなく、急に
行われたものでして、趣旨は将に男声の交流・保存にありました。



2.話が盛り上がり、予想外の展開へ
 
ところが、会が始まりますと、第九の余韻が残っていますし、話が一気に盛り上がり、
「折角だ、一緒に歌おう」と言う雰囲気になったのです。
すると、「その機会は?」
と言う事になり、「近く、3月1日に市民音楽祭がある」
との話が飛び込んで来ました。
でも、既にスケジュールも出演団体も決まっているとのこと、それでは割り込みにな
るが、「飛び入り出演と言う事で何とか」と話に勢いが出て、結局、後日調整の結果、
幕間の時間を活用する出演で折り合いが着きました。



3.第六回取手市民音楽祭に臨時出演


斯くて、流れとは恐ろしいもの、お酒の効用もあったと思われますが、仮ながらも、
「取手男声保存会合唱団」と言うことで、プログラムに無い出演が実現することとなった
のです。もっとも、正式の合唱団となるかどうか分からない所がありましたので、指揮
者を引き受けることになった百田さんが、「その点は市民音楽祭での演奏がうまく行け
ば、考えましょう」と引き取りました。


つまり、「飛び入りの出演」と言う形にして、何とか幕間の舞台に出ることにしてもらった
のです。演奏曲目は、指揮者が選び、にわかに練習が始まりました。ちなみに、この時
歌ったのは、「ふるさと」「三匹の蜂」「ウェルナーの野ばら」
の三曲でした。 また、出演し
た二十数名のうち、現在も当団に在籍しているのは安本・太田・根本・仲津・小野の
五名です。



4.演奏好評につき、男声合唱団の正式発足へ 

さて、指導よろしきを得て、また一所懸命練習した甲斐あって、この飛び入り出演は実に
好評を博しました。 会場には、「一心に聴こうと、耳をそばだてている聴衆の姿」がありま
したし、また、まだ小学生だった子供が、曲目の歌詞と物語を、初めて聴くのに覚えてしま
い、家で得意そうに話していた事もあった由、この演奏は大人も子供も、聴衆を捉えたの
です。将に合唱の原点でした。 

この成功をベースに、この男声合唱団はしっかりと動き出しました。次の出演機会が探ら
れ、同年の5月5日にあると言う、利根川河川敷での子供祭に、今度は正式出場の機会を
得たのです。その時の曲は、「Die Nacht」「源兵衛さんの赤ちゃん」「ローレライ」等でした。
また、メンバーも増え、往時作られた、1987年5月1日付けの取手男声保存会合唱団の名
簿では31名になっています。その中で現在もなお活動中のメンバーは、上記の五人に加え
て、高尾・渡邊(桂)の二人です。
この頃は、皆現役の社会人でした。

こうして、この男声合唱の集いは、すっかり定着、6月以降、月二回の定期練習が行われ
るようになりました。それには音取りも必要と、仲津団員の由希子という小五の娘さんがピ
アノを弾くお手伝いを一年程した思い出もあります。かくて、男声合唱団の誕生は、取手の
合唱界で大いに大歓迎され、早速、各般の交流が始まりました。


その一方で、「保存会合唱団」と言う言い方は次第に減り、普通名詞である「取手の男声合
唱団」と言う呼び方が、極く自然に使われるようになりました。更に、日を経るにつれ、[取手
男声合唱団」と言う固有名詞が使われ、定着し、今日に及んでいるのです。



5.創生、そして継続発展の苦労と幾つかのエピソード

さて、一旦生まれたなら、後は、当然且つ順調に継続・発展するかと言うと、世の中そう単純
ではありません。ただ、取手男声合唱団の場合は、団内外の指揮者始め、各分野の人材と
団員に恵まれ、何度も波は体験しながらも、各位の努力と意思で乗り越えて来たように思い
ます。創意と工夫に支えられ、地道に継続こそ力なりを体現して来たものと言えるでしょう。
もとより、今や次第に高齢化しており、基本的な事を始め多々課題がありますが、団員がなお
保たれている事と、みんなの衰えぬ意欲とに、力の源を見いだせると思います。


以降の事で、若干のエピソードを記しますと、翌1988年には、3月7日に開催された第7回市
民音楽祭には正式参加しました。その場では、資料4にある「人間っていいな」の初演も行って
おります。その演奏会の終了後、取手中央病院を訪れて同曲を含む当日の出し物を演奏し、
それ以後、毎年白山公民館祭の演奏の後に、訪問演奏をすることが恒例になりました。現在
では公民館祭とは別に、3月末に同病院においてミニコンサートという形で訪問演奏を継続して
おります。一方、定期演奏会もこなすようになり、この2013年の5月には第11回を迎え、
次の12回目への取り組みが始まっております。


6.以上、振り返りますと

 この合唱団は、設立の総会などを開いた事がありませんし、極く自然に「取手男声合唱団」と
なって行ったのですが、その原点はと言えば、冒頭に記した1987年1月15日の男声保存会に
在りますので、その日を「創立記念日」としているのです。この物語、お楽しみ頂けましたか?



          <2014.4 改訂版受付・掲載>